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元少年の弁護団は己の責任を痛感し、反省せよ

 光母子殺害、元少年に死刑判決 広島高裁差し戻し控訴審
 本題に入る前に、私、この光市母子殺害事件の判決の特集を産婦人科の待合室で見ていましたことを白状いたします。チビがおなかにおるそうです。ええ年してできちゃった結婚…(結果的に)。
 何より、命の誕生にかかわる場所のテレビで人の命を奪う判決の成り行きを見る私…。いやはや、そんな番組を流す香川労災の産婦人科はチャレンジャーですね。
   とうとう、日本で最も死ぬことを望まれている男に死刑判決が下されました。この9年を闘い、犯罪被害者、そしてその遺族の地位や権利を高めることに大きな貢献をした本村さんには敬意を表します。彼は、最初からあのように知識があったわけではありません。そりゃ、もともと頭は良かったんだと思います。しかし、彼は、メディアに訴えながら、ある日「遺族が感情的に叫んでも、誰も聞いてくれないんですよね。」と言ったことがあります。そこから、彼は知識をつけ、冷静に話すように努力したんでしょうね。そして、彼のように、表に出て来る遺族はいなかったから、賛同も批判も受けたのだと思います。それでも意思をしっかり持ってここまでやってきたことには、尊敬の念を抱かずにはおれません。
 翻って、弁護団は、いったい、元少年の被告をどうしたかったのでしょうか。中学生にもなれば、あんな荒唐無稽な陳述は、無理があると分かりそうなものです。だから、私は、常に「自分の主義主張にこだわりすぎるとろくなことにならない」と言っているのです。
 彼らのしたことといえば、被告の反省の弁を述べる機会を奪い、死刑判決を後押ししただけです。本来ならば、自分たちの弁護および教唆がこの事態を招いたとして、反省の弁でも述べるべきでしょう。
 ところが、反省どころか、「不当判決。いったい、何を見て、何を聞いてきたのか。」とは恐れ入りました。
弁護団は、裁判官の
「当初の弁護人とは296回も接見しながら否認せず、起訴から6年半もたって新弁護団に真実を話し始めたというのはあまりにも不自然で到底納得できない」
「死刑を免れることを意図して虚偽の弁解を弄(ろう)しているというほかない」

という言葉を聞いていたのでしょうか。それとも、聞きながらも聞こえないふりか、意味が分からなかったのでしょうか。

「更生の可能性を大きく減殺する事情といわなければならず、死刑回避のために酌量すべき事情を見いだす術(すべ)もなくなった」と結論づけた。

 どうして、自分たちがこの結果を招いたと受け止めることができないのでしょうか。このような彼らの姿こそ、盗人猛々しいというのです。
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COMMENTS

こちらに書くべきでしたね

 台風様
失礼致しました。
 前々から申し上げている事ですが、私は「死刑存置論者」です。
 何故かと申しますと、私は昔から「自分に出来ない事を、他人に強制できない」性格の人間でして、「もし、自分が」という事を第一に考えるのです。
「もし、自分の家族が、何の罪もないのに、ある日突然殺されたら、果たしてその犯人を赦せるだろうか?」と、考えてみた時、とても「赦す」とはいえないから
です。
「自分に出来ない事を、他人に強制する事はできない」という考えに基づいてです。
 死刑廃止論者は、よく「死刑では遺族の心は癒されない」と、訳知り顔で言いますが、それはケースバイケースでしょう。
 今回、本村氏は「厭されはしませんが、納得はしました」と述べておられます。
 私は、何も死刑判決を乱発しろと言っているわけではありません。
 死刑に就いては、判断を下すほうも、より慎重になるべきだと思いますし、情状面を考慮しなければならない場合もあるでしょう。
 しかし、やはり必要な刑罰だと考えます。
 もう一つ廃止論者は「死刑廃止は世界の流れだ」とも主張しますが、私は
むしろ「廃止した国の人々が、自分の家族を殺害された人物が、刑務所の中で
税金でもってのうのうと生きているという現実を、一体どう昇華したのか」の方が
非常に気になります。

私の場合

私の母が、「自分がどんなに残酷な殺され方をしても、死刑を求めないでくれ。」と言いますが、私は「すまないが、その願いを聞くことはできない。」と言います。
私は何も、恨みだけでそう言っているのではありません。
そういうことをした犯人は、出所したら、同じか、もっと残虐な殺人を犯す危険性があるからです。つまり、更生の可能性は無いと思うからです。
もし、母が殺されたとして、最初は犯人への憎悪だけが犯人を死刑に追いやる理由になるかもしれない。しかし、もうこれ以上、肉親を無残な形で亡くした人を出したくないのです。
後、終身刑や懲役何百年とかいう刑については、私は、税金を払うこともいやなんですが、それよりも、ロバート・K・レスラー氏というプロファイリングの第一人者が書いたドキュメントがありますので、そのほうが理由としては強いので、下に記します。
彼は、懲役何百年(つまり終身刑)となった、猟奇殺人犯と二人きりで面会します。プロファイリングという資料のために。
そこで、その囚人の言った言葉
「ここで、あんたの首をねじ切って机の上に置いておいたら、看守はどんな顔をするかな?ええ?」
「そんなことをしたら、どうなると思ってるんだ。」
と答えると、囚人は
「どうせ、俺は一生ここから出られないんだし、一人殺したところで、一緒だよ。ムショの中で、ハクがつくしな。」
氏は、囚人の薄ら笑いを見て、恐怖を感じたのですが、面談を終え、看守が迎えに来て、面会室から出るときに、その囚人が言うのです。
「なあ、さっきのは冗談だよ、分かるだろ?」
この後、氏は面会する際には、必ずもう一人、看守をつけることにしたといいます。
つまり、終身刑は、更生の可能性が無い、自分の犯行にまったく罪悪感を抱かない性質の人間には、無意味だということです。
そんなのは、特異な例だと死刑廃止論者は言うでしょうが、永山死刑囚を見てみなさい、あれは反省する態度ではないだろう、と言いたいですけどね。
もとより、死刑判決を下す裁判官も、その判決が人命を奪う行為だけに、苦悩するし、そうであってほしいと思います。その上で、「更生の可能性なし」と判断するのは、よほどのことでしょう。おそらく、私と同じ考え、「これ以上犠牲者を増やさないために、選択する刑だと考えています。

台風様

 ロバート・K・レスラー氏の本は、私も読んだことがあります。その終身刑囚というのは、エド・ケンパーといい、自分の母親、ヒッチハイクした女性など、のべ
10人以上の命を奪った殺人鬼ですね。
 殺人を犯して牢獄にいる連中というのは、全てがそうだとはいえないでしょうが、多分一生そこで人生を「終わる」と思っているんでしょうから、ある程度自暴
自棄にもなりますし、「何をやろうといいだろう」という気持ちにもなると思います。
「死刑」は確かに残酷な刑罰であります。だからこそ私はそれを下すためには
慎重にならねばと思います。
 

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